子どもの頃、僕の世界は後部座席だった。窓の高さがちょうど、流れていく景色を半分しか見せてくれなかった。
シートの布はざらりとしていて、夏になると太ももの裏にその目が残った。父はいつも同じ曲をかけていて、たぶん好きだったわけじゃなく、たまたま入っていたテープがそれしかなかったんだと思う。エンジンのかかり方にも独特の手順があって、一回せきこむような音をしてから、ようやく低くうなりだす。あの間の悪さが、今思うと妙にやさしかった。
遠出の日は、僕はだいたい途中で眠ってしまった。シートベルトに頬を預けて、エンジンの細かい震えが体に伝わってくる。眠りと目覚めの境目で、トンネルの灯りが瞼の裏を一定の間隔でなでていく。あの規則正しい明滅が、僕にとっての子守唄だったのかもしれない。
運転席の背中は、いつも少しだけ前のめりだった。母が助手席で何か話しかけても、父は短く返すだけで、前ばかり見ている。その背中越しに見えるハンドルさばきが、当時の僕にはすごく大人びて、近寄りがたいものに見えた。
目的地に着いてドアを開けると、こもっていた車内の匂いがふっとほどける。何の匂いだったのか今ではうまく言えないけれど、たぶんもう一生かいだとしてわかる気がする。あの後ろの席は、僕がいちばん安心して、いちばん遠くまで運ばれた場所だった。