鳴子温泉から国道108号を秋田方面へと車を進めると、山峡の集落に踏み込むあたりで空気の温度がすっと下がる。荒雄川に沿ってしばらく上ると、鬼首の中川原集落が見えてきて、道端に木の看板とテント屋根の小さな設えがぽつんと現れる。これが「やまが旬の市」だ。派手な装いは一切なく、通り過ぎてしまいそうな佇まいだが、その素朴さこそが鬼首という土地に染み込んだ気配そのものだと感じる。標高が高いぶん夏でも肌寒く、車のドアを開けた瞬間に山の匂いと涼気が押し寄せてくるのが、この場所を訪れる楽しみの一つになっている。大崎市の広がりを一枚の地図で眺めると、鬼首は市の最奥に位置し、街と山とが繋がる終点のような役割を担っている。
棚に並ぶ顔ぶれは、まさに鬼首の季節そのものだ。春から初夏にかけては、みず、うど、うるい、あいこ、こごみ、ぜんまい、たらの芽、ふきのとうといった山の若芽が並ぶ。夏には冷涼な高冷地で育った大根やキャベツ、秋になれば天然きのこや栗、ブルーベリー、時にはトルコギキョウなどの花きが顔を出す。値札はマジックの手書きで、袋詰めは大雑把、それでもみずみずしさは平地のスーパーとは一線を画す。数量は多くないため、良品は開店直後の一時間ほどで姿を消してしまうことも珍しくない。旬の走りを狙うのなら、朝の九時前後を目指すのが賢明だと言えるだろう。
この直売所の醍醐味は、並んでいるものよりも、並べている人にある。作り手が交代で店番に立っているため、素性を尋ねれば「うちの畑のうしろの沢で採ってきたやつ」といった具体的な返答が返ってくる。山菜の下処理の要領、大根の甘みが際立つ理由、加工品に込めた工夫まで、話し込めばいくらでも教えてくれる場面がある。高原大根の漬物、赤唐辛子と糀を合わせた辛口の味噌、手仕事のジャム、山菜の塩蔵品といった加工品も、家庭の台所の延長線上にあるような素朴な仕立てで、パッケージから店を作り込んだ観光施設とは違う手触りが漂う。
立地は鬼首温泉、間欠泉「弁天」、吹上高原キャンプ場、鬼首スキー場、片山地獄といった観光資源に囲まれた位置にあり、大崎市鳴子温泉エリアの奥座敷を巡るドライブルートの中継点として機能している。国道108号沿いに駐車スペースが確保されており、車での立ち寄りが基本になる。鳴子温泉に泊まった翌朝、湯冷めしないうちに宿を出て鬼首方面へ足を伸ばす、そんな朝の使い方が特にしっくりくる。荒雄川と山肌の景観が続く道は、それ自体が目的地と呼べる美しさを湛えていて、直売所はその途中に置かれた小さな句読点のような存在だ。
常連の顔ぶれも興味深い。地元の別荘族、鬼首や鳴子の宿の料理人、遠方からわざわざ足を延ばす山菜好きなど、目的意識のはっきりした客が朝一番から集まる。天候や収穫状況で棚の顔ぶれは日替わりに近く、行くたびに違う出会いがあるのがこの場所の面白さでもある。冷涼な鬼首は平地より旬が一段遅れて訪れるため、街で終わったはずの山菜シーズンをもう一度追いかけるように通う人もいる。雨の日は品数がぐっと少なくなり、その代わりに農家との会話が濃くなる、そんな緩やかな運営が続いている。
訪問時に気を付けたいのは、営業が完全な季節限定である点だ。おおむね五月末から十一月初旬までの土日を中心に開き、営業時間は午前九時から午後二時から三時ごろまで。冬期は積雪のため長い休みに入る。天候や収穫状況で開店日が動くこともあり、遠方から訪ねる場合は事前に電話0229-86-2780へ確認しておくのが確実だ。国道108号は真冬になれば路面凍結が厳しくなり、スタッドレスタイヤと余裕のある運転が前提となる区間でもある。鳴子から鬼首までは片道三十分以上を要するため、帰路の日没時間も計算に入れて動きたい。
周辺との組み合わせで考えると、鬼首温泉の日帰り入浴、間欠泉「弁天」の噴き上がり見学、吹上高原の芝生広場での昼寝、荒雄岳の裾野を望む展望ドライブなどを繋げれば、鬼首エリアだけで一日の行程が組み上がる。夏は避暑、秋は紅葉と山の恵み、季節ごとに目的を変えて何度でも足を運びたくなる土地だ。湯上がりの体に一袋のみずやうどを抱えて宿へ戻る夜、あるいは県境を越えて秋田・湯沢方面へ抜ける途中の休憩に、この直売所を組み込むと旅の輪郭が一段深くなる。
素朴な棚の向こうには、鬼首という高冷地の農の営みが透けて見える。畑と沢と森を歩き、旬に手を伸ばして袋に入れる、そういう暮らしの延長線上に、この直売所は成立している。買い物という言葉よりも、山を分けてもらうという表現の方がしっくり来る場面が多く、それは大崎市の他のどの産直施設とも違う空気を持っている。値段の付け方も、量目の詰め方も、家庭の余剰を近所で分け合う延長にあるようで、そこに商業施設の理屈は入り込む余地が少ない。
歴史的には、鬼首の集落は古くから山菜採りと林業、そして小規模な高原農業で暮らしを組み立ててきた土地で、農家が持ち寄って売る場としての直売所はその生活文化の必然と言える形をしている。近年は道の駅や大規模な産直市が各地に生まれる一方で、こうした集落単位の小さな直売所は数を減らしており、それだけに鬼首の中川原にひっそりと灯る「やまが旬の市」の意味は増している。特別な仕掛けがあるわけではないが、地域が続いている限りは棚の花が入れ替わり続ける、そのことこそが最大の魅力だと思う。
利用シーンとして提案したいのは、鳴子温泉の宿にチェックインする前にまずここへ立ち寄って、その日の夕食に一品足すための山菜や漬物を仕入れる、というルートだ。宿の板場に一言添えれば、天ぷらや汁物として仕立ててくれる場合もあり、その日の鬼首の味をそのまま夕餉の膳に載せる贅沢が味わえる。あるいは秋田方面へ抜ける長距離ドライブの朝、車のトランクに一袋のきのこを積み込み、県境を越えてからの車中の楽しみに変えるのもいい。
締めくくりに一つ、ここは大崎市の広さと自然の厚みを一度に体感できる場所として、市外からの訪問者にも強く勧めたい一軒だ。都市部の生活からわずか数時間の距離に、これほど別の時間が流れる場所があるという事実そのものに、私は毎回小さく驚かされる。派手な観光施設ではなく、集落の生活が薄く延長された棚に手を伸ばすとき、旅の輪郭が土地と近づく瞬間が確かに訪れる。鬼首の四季を追いかけるように、また袋を抱えに戻ってきたいと感じさせる、そんな小さな入口である。
店舗情報
- 住所
- 宮城県大崎市鳴子温泉鬼首字中川原39 地図で見る
- 電話
- 0229-86-2780
- 営業時間
- 9:00〜14:00〜15:00ごろとされる(季節営業。天候・収穫状況により変動)
- 定休日
- 例年5月末〜11月初旬の季節営業で、毎週土・日曜(土日に連なる祝日も営業の場合あり)に開催とされる
- 駐車場
- あり(国道108号沿い)
- 公式サイト
- www.city.osaki.miyagi.jp で見る
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